2009年11月6日(金)

都電荒川線 路面電車の走る街 ぶらり散歩の旅

旅の思い出 INDEX
三ノ輪橋から早稲田まで全長12.21キロ、30の駅を約50分で走っている都電荒川線は都内で唯一の路面電車です。平均駅間隔は421m。直線部では隣の停留所の車両を見ることができるくらいの近さです。
今日は、そんな路面電車の走る街をのんびりと散策してきました。
<三ノ輪橋>
都電荒川線の起点である三ノ輪橋。平成19年5月、9000形の営業運転開始にあわせて全面リニューアルを行い、レトロ風の外観となり薔薇が奇麗な駅として「関東の駅百選」に選ばれています。5,6月と10,11月が見頃で、色とりどりの薔薇が線路の脇を彩ります。

荒川区お薦め品認定
「桜せんべい」
三ノ輪橋駅前の小さな商店街を抜け、昭和通りを横断、右側のガード沿いに荒川区お薦め品認定「桜せんべい」があります。三ノ輪にお出かけの際は、足を運んでみては如何でしょうか。
<荒川自然公園>
"荒川2丁目"停留所のすぐ前が荒川自然公園の入口です。その名前とはうらはらに、この公園は下水処理施設の上に造られた人工の自然公園なのです。水と緑に溢れた園内は、人工地盤の上にできていることなど忘れさせるほど、とても自然に満ちています。南エリアの中央には荒川区の地形をかたどった白鳥の池があり、白鳥を眺めながら、のんびりとした時間を楽しむことができます。
<都電の車庫>
"荒川2丁目"から乗った電車がたまたま荒川車庫前止まり。とりあえず下車しました。文字どおり、都電の車庫が隣接しています。
終点駅である三ノ輪橋、早稲田ともに折り返しのスペースのみで車庫がありません。そのため、都電の運行管理や点検・修理がここで行われています。都電に関する資料も揃っているということです。
隣接する都電おもいで広場には、貴重な都電の旧型車両2両を懐かしい停留場をイメージし、展示されています。
入場は無料。ただし、平日は閉まってます。都電全盛期を彩った往年の名車に会いに行くのもいいのでは・・・・
荒川車庫 都電おもいで広場
<名主の滝公園>
紅葉を期待しつつ荒川2丁目から王子駅前まで、車窓を楽しみながらおよそ15分。王子駅前を降り、隣接するJR沿いに15分ほど歩くと立派な名主の滝公園の門があります。名主の滝は、王子村の名主畑野家が、その屋敷内に滝を開き、避暑のための施設として一般の人に開放したことに始まるもので、名称もそれに由来しているそうです。渓流や、奥深い谷といった趣のある庭園で、ここが街中であることが不思議なくらいの景観でした。残念ながら紅葉はまだちょっと先といったところでしたが、男滝を眺めながらの一服は格別でした。
男滝 女滝
都電もなか
途中の"梶原"には、駅前商店街の入口に都電もなか本舗「明美」という和菓子屋さんがあります。
都電を形どった最中は第20回全国菓子博覧会において厚生大臣賞を受賞したそうです。でも味は普通の最中です。
<王子稲荷神社>
名主の滝公園から王子駅前へ数分戻ると「いなり幼稚園」が見えてきます。ここが王子稲荷神社で、境内が幼稚園になっています。今日はウィークディのため正面の石段からの参拝はできませんでした。落語「王子の狐」の舞台としても知られている王子稲荷神社は、関東稲荷社の総社として、狐にまつわる言い伝えが多く、狐の石像が至る所に建っています。また、凧市・狐の行列などの行事が行われ、江戸時代から現代まで多くの参拝客で賑わっています。拝殿をぐるっと廻って奥へ進むと、「本宮」があり、その奥に末社と御石様と呼ばれる「願掛けの石」があります。「願い事を念じつつ持つ石の軽重により御神慮が伺える」と書いてありましたが、とても持てそうもない大きな石でしたし、持ち上げていいものやらよくわからず、ただ願い事だけしてきました。ここから見上げたところに「狐の穴跡」があります。かつて狐が住んでいた跡は、「お穴さま」として今も保存されています。でも、蜂が出るということで階段が封鎖されており、穴跡を見ることはできませんでした。
狐の穴跡「お穴さま」 願掛けの石「御石様」
<飛鳥山公園>
やっぱり飛鳥山は桜の時期でないと・・・・
"飛鳥山"を降り目の前の本郷通りをはさんだ先に飛鳥山公園があります。このあたりは、先土器時代、縄文時代、弥生時代の人々の生活の跡が発見されており、古くから人が住んでいたようです。
飛鳥山の呼称は、昔この丘の地主山に飛鳥明神の祠が祀られていたことからと言われています。この地を花見の地にしたのは、江戸時代の中ごろ元文二年(1737)徳川八代将軍吉宗が、この地を王子権現に寄進し、荒地を整備して1270本の桜を植え、江戸庶民のために行楽の地としたのが始まりといわれています。
このことは「飛鳥山碑」に詳しく刻まれています。しかし、当時から読み難い石碑の代表ということで「飛鳥山何と読んだか拝むなり」と川柳にも読まれたほどでまったく読めませんでした。
今のようにお花見と言えば「お酒」が許されていたのは、ここ飛鳥山と隅田川沿いだけだったため、江戸っ子たちは様々な趣向を凝らして楽しんだといわれています。飛鳥山は、明治6年、上野・芝・浅草・深川とともに日本最初の公園に指定され、平成の現在も多くの人々に親しまれています。
飛鳥山碑 児童公園の蒸気機関車D51
<平塚亭と平塚神社>
飛鳥山公園を出て本郷通りを左(田端方面)へ、しばらく歩くと道沿いに平塚亭「つるおか」の看板が見えてきます。ここが、知る人ぞ知る内田康夫著の浅見光彦シリーズに度々登場する和菓子処平塚亭です。
「浅見は『平塚亭』に寄って、串団子を甘辛五本ずつ、買った。ここの団子を母親の雪江が好物で、母を籠絡するにはこれに限った。この日、”籠絡”の必要性があったわけでもないのに、どういうわけか団子を買う気になったのは、虫の知らせの続きのようなものかもしれない。思いもかけぬ珍客が、浅見の帰宅を待ち佗びていたのだ。」「平家伝説殺人事件」では、こんな文章で平塚亭のみたらし団子が紹介されてました。かなり歴史を感じるお店で、中に入ると左側がショーケース、右側に店内で食べられる椅子が数脚。店前の縁台でお茶とお団子を、というイメージで来たのですが、テレビで見た縁台はロケ用に特設したそうで残念ながら縁台でお茶とお団子はできませんでした。ちなみに、ここのお薦めはお団子と豆大福だそうです。
また、「平家伝説殺人事件」では八幡太郎源義家命を御祭神とする平塚神社も登場しています。
<とげぬき地蔵>
"庚申塚"を降り巣鴨地蔵通商店街をぶらぶらと数分歩いていくと「とげぬき地蔵尊本堂入口」の看板が見えてきます。
高岩寺と書かれた山門をくぐると、本堂の左に長い列が・・・・洗い観音にお参りする人の列です。
洗い観音「聖観世音菩薩像」に水をかけ、自分の悪いところを洗うと治るということで、行列をつくって順番を待ってます。お年寄りの原宿と言われる地蔵通りのここは人気スポットの一つとなっているようです。
この高岩寺のご本尊が「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。しかしこの地蔵菩薩様は秘仏ですので残念ながら拝むことができません。代わりと言っては叱られそうですが、縦4センチ横1.5センチの和紙の中央に尊像が描かれている「とげぬき地蔵尊御影」を高岩寺本堂で授与していただき、これを痛いところに貼ったり、のどに骨が刺さったとき飲んだりすると治るといわれています。この地蔵通商店街は(「赤の力」で元気と幸福をお届けします)のキャッチフレーズで店中、赤 赤 赤という赤パンツの「マルジ」をはじめ、塩大福の元祖という「みずの」、江戸の味を今に伝える無添加健康食の佃煮専門店「佃宝」など何度でも来たくなるお店がずらりと並んだ楽しさ一杯の商店街です。毎月4・14・24日には昔懐かしい露店が地蔵通りに沿って軒を連ねますので、訪ねてみては如何でしょうか。
高岩寺山門 洗い観音
赤パンツの「マルジ」 佃煮専門店「佃宝」
<雑司ヶ谷鬼子母神>
"鬼子母神前"を降り都電の踏み切りを渡り、ケヤキ並木に覆われた参道の先に見えてくるのが鬼子母神堂のある法明寺です。
鬼子母神堂は、安産・子育の神様である鬼子母神を お祀りするお堂として、多くの人々に親しまれています。境内に入るとすぐ左手に、創業1781年と書かれた看板のある都内最古の駄菓子屋「上川口屋」があります。
鬼子母神のお告げによって作られるようになったという名物「すすきみみずく」は、この上川口屋で売ってます。境内には東京都指定天然記念物、樹齢600年以上、幹周8m、高さ約33mというご神木のイチョウがその雄大さを見せています。
ちなみに鬼子母神の読みは「きしぼじん」ではなく「きしもじん」です。でも、パソコンではどちらでも変換されます。もうひとつ、鬼子母神の「鬼」の字が少し変だとは思いませんか。ここの鬼子母神像は、鬼形ではなく、羽衣・櫻洛をつけ、吉祥果を持ち幼児を抱いた菩薩形の美しいお姿をしているので、とくに角(つの)のつかない鬼の字を用いているのだそうです。
創業1781年都内最古の駄菓子屋「上川口屋」 角(つの)のつかない鬼の字
樹齢600年以上、幹周8m、高さ約33mというご神木の大イチョウ 
<終点早稲田>
とりあえず終点まで、ということで降りたのですが、なんとも風情のない駅でした。早稲田駅は、新目白通りのど真ん中にあり、終点というより「これからこの先延長します」的な途中駅のような感じがしました。

三ノ輪橋から早稲田まで全長12.21キロを途中下車をしながらのんびり散策してきましたが、まだまだ沢山の見どころがある都電沿線です。今回見落とした所、もう一度訪ねたい所、季節を変えてまたぶらりと出かけたいと思っています。

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